ラオスの田舎で遭遇したお葬式
その若者はまだ二十歳を過ぎたばかりで、親元を離れてもっと大きな町で高校に通っていた。年老いた母と兄が二人、姉が一人いて自分のために無理に無理を重ねて学費を工面しているのをいつも気にかけ、週末のたびに親兄弟のもとに戻ってきて家の手伝いをする孝行息子だった。「ラオ・カーオ」と呼ばれる酒を造ることで知られるこの小さな村で誰からも好かれる笑顔の美しい若者だった。1週間前、同級生とオートバイに二人乗りしていて転倒し彼だけが大怪我を負い、その日から8日目の朝4時に死んだ。
ラオスでは誰かが亡くなると家族や近所の知り合いらが大勢集まって伝統のやり方にのっとった儀式で送り出す。しかし、事故で突然に命を奪われた場合はそれが出来ないという。それが土地の風習、決まりなのだ。若者は交通事故が原因ではあるが、病院で1週間治療を受けた後に絶命したために儀式を行えることになった。
若者が死んだ日、近所の男たちが家々から材木を持って集まってきた。これから皆で若者の棺おけを作るためだ。私たち日本人が考えるよりも小さな棺おけは、下に設置台が付いた幅の狭い台形をしている。あばら家の入り口前にそれが出来ると今度は鮮やかな黄色のペンキで色付けされる。その上、黄金色の色紙を切り抜いた飾りが棺おけの表面に張られていく。まるで皆の悲しみを吹き飛ばすほどの明るい色彩…。
棺おけが出来上がると家の中に運び込まれ、彼の亡骸が納められる。家の前にはテーブルや椅子が次々に運び込まれ家の周囲全体が葬儀の会場に仕立てられていく。そのテーブルで集まった男たちはトランプ博打を始めた。歓声をあげて熱中する男たちとそのテーブルを覗き込む子供たち。テーブルにはラオ・カーオの瓶が並び男たちの顔は赤黒く光っている。女たちは別の一角に集まり世間話に盛り上がりながら食事の用意をする。肉を切り、野菜を洗い、米を炊く。まるで祭りの準備でもしているかのようだ。
夕刻からは近所の寺の僧侶が二人、町からの僧侶が二人やってきて家族親戚を前に読経が始まった。
死者のための儀式のあとで僧侶は家族に対し、愛するものを亡くした時の心の持ちようを諭す。僧侶の言葉で悲しみが消え去ることはありえないが、少しでも軽くなったのか、あるいは入院していた1週間の間に涙が枯れるほど泣き暮らしたからか、母親や兄姉の目に涙はない。葬儀は淡々と粛々と進んでいく。
その後はもち米と数種類のおかずが供され、誰かが持ち込んだテレビとDVDデッキを使ってタイ映画の上映会が始まった。聞くとたいていはコメディやアクション映画で、笑って楽しく夜を明かすのだそう。家族は家の中に入ったままでそこは薄暗く様子はわからない。
翌日の早朝、若者のすぐ上の兄が頭を丸めた。この国では家族の誰かが一日だけ出家して故人を送り出す役目を負わなければならない。今回は一緒にオートバイに乗っていて奇跡的にかすり傷ですんだ親友も一緒に出家するという。生き残ってしまったという自責の念からか、見るからに辛そうな表情で力なく遠くを見つめている。
午前中にはまた前夜と同じ僧侶が家を訪れて、兄と親友の一日出家の儀式が執り行われた。
そして……、ギラギラする熱い太陽の下で出棺。棺おけはトラックに積み込まれ、亡骸を守るかのように二人の兄と親友、近所の男達が乗り込んでいく。母親と姉、村の女たちはワゴン車に分乗する。そして車の後を50台近いオートバイに乗った近所の知り合いや友人らしい若者たちが行進していく。
ゆっくりとゆっくりと進んだ葬送の行進は山のふもとで一時止まり、棺おけはそこから男たちの手によって頂上にある焼き場へと運ばれる。
山の頂上は木々が切り開かれて乾いた地面が広がっている。丸太で組んだ簡単な焼き場がこしらえてあり、木陰が無いために強い日差しを避けるために広場の中央にはテントの屋根が張られている。僧侶と家族がその下に並び、若者を送る儀式が始まった。彼のことを知っているすべての人々がここに集まっている。小さな村の大半であろう群集が彼の棺おけと家族の周りを大きく取り囲み、その誰もが神妙な顔立ちで、僧侶の読経が続いている間は目を閉じて手を合わせている。
読経のあと、家族による最後の別れの時。父親代わりだった上の兄がココナッツの水で彼の顔を丁寧に洗う。生まれ変わっても綺麗な顔でいられるように。
彼の棺おけにはガソリンがかけられ、来場者は足元の枯れ枝を拾い死者に手向ける。
村の長老の合図で棺おけに火が放たれる。
天に召された若者の亡骸は、出家した兄と親友らに見守られて真っ黒い煙の中で灰になっていった。
(※注:葬儀はこの日で終わるのではなく、1週間後に故人を送る最後の儀式が執り行われた。また、日数や儀式の規模はその家によって違うとのこと)
(写真)炎を見つめて何を思うのか
(ラオス・ルアンパバーン県パークウー郡サンハイ村にて)
写真・文: 城戸可路